禎子という少女

1943年に生まれ、1945年 2歳の時に爆心地より1.6キロの自宅で被爆。
運動の得意な元気な少女に成長したが、被爆から10年後に白血病を発症し広島赤十字病院に入院。8か月の入院生活を送った。
千羽鶴がお見舞に贈おくられたことをきっかけに、「生きたい」という願いを込こめて折り鶴づるを折り始める。8カ月の入院生活の末、家族が見守る中、永眠。この時に折られた折り鶴は1600羽にもなり、今も平和教育と交流の場で受け継がれている。

禎子の折り鶴

名古屋の淑徳高校からお見舞いに送られた折り鶴の意味を知り、『千羽鶴を折れば願いが叶う』と信じながら薬包紙や見舞品の包装紙で折り鶴を折った禎子。彼女の折った折り鶴は原爆記念館をはじめ世界各国に寄贈されている。

遺族として

禎子の残した折り鶴がきっかけとなり、被ばく当事者、遺族、被ばく二世である私たち家族は世界中でたくさんの方と出会い、交流する機会を持つことができた。私たちに与えられた役割を果たしていきたいし、私たち自身も遺族として自身の心に向き合っていきたい。

禎子の暮らし

とても活発だった小学生の女の子にとって、入院生活はさぞ窮屈だったことだろう。その暮らしの中で薬包紙をつかって小さな折り鶴を熱心に折っていた少女らしい禎子と、検査結果の数値を密かにメモし家族に見つからないように寝具の裏に隠していた禎子と、両面とも確かに禎子そのもの。一人の女の子の中に在った大きな揺らぎ。折り鶴を熱心に折ることでつらい現実から少しでも逃れ彼女の心の平和を保っていたのかもしれないし、人を想うことで心を埋めていたかったのかもしれない。真実はわからないものの、彼女が残してくれたものを大切に次世代にバトンとしてつないでいきたいと思い活動している。

1943年1月7日に出生。理髪店を営む佐々木家に生まれる。禎子が生まれて間もなく父が召集され、母が理髪店を切り盛もりしていた。

1945年8月6日、原爆投下。家族と共に爆心地から約1.6kmの楠木町の自宅で被爆。爆風で屋外まで飛ばされたものの、大きなけがはなかった。すぐに辺りから火の手が出始めたので、禎子は母に背負われ、避難。三篠橋付近で「黒い雨」に打たれた。自宅は全焼、家族は県北部の三次の親類の家に身を寄せた。原爆の爆風と熱線、そして放射線は人々に被害を与えました。当時市内には約35万人がいたが、一発の原爆で、その年の12月末までに14万(±1万)人が亡なくなった。


復興への新たな生活の始まり
戦後の混乱や物不足に苦しみながらも、佐々木家は1947年に新たに市内に理髪店を開き、生活に落ち着きを取り戻もどしていった。禎子は元気に育ち、幟町小学校に入学。

6年生 身長135cm、体重27kg。健康で運動がよくできる少女だった。将来の夢は中学校の体育の先生。9月ごろから少し顔色が悪いことがあったが、特に気に留めることはなかった。

1954年11月下旬、禎子は軽い風邪かぜをひき首や耳の後ろにいくつかしこりができた。徐々にしこりは大きくなり、おたふく風邪のように見えた。正月明けに近所の病院に行きましたがよくならず、1月末には左足に紫色の斑点がみられた。

病院をまわり検査した結果 、白血病と診断を受ける。2月18日、父は医者から「長くて一年の命。すぐ入院が必要」と宣告された。禎子がそのような重病だと家族は受け止めることができなかった。2月21日に広島赤十字病院に入院。

小学校の同級生は、禎子の入院を担任の先生から聞き、交代で病院にお見舞に来てくれた。卒業式では、出席できない禎子の代わりに父が卒業証書を受け取った。入院から約1カ月後、クラスの友達と同じく中学校に進学はしたものの、通うことはできなかった。当時、経済的に苦しかった佐々木家の父母は禎子になにかしてやりたいと着物を準備していた。

8月6日、外出許可をもらい家族で平和記念式典に参列。平和記念公園に向かう途中、禎子さだこさんは歯ぐきから出血し体調を崩したので式典には参加せず、すぐ病院に戻った。

8月初旬、禎子は薬の効果で首のはれが少しひき、比較的元気にすごす。しかし両足には紫色の斑点が出ており、少しずつ病気は進んでいた。8月3日、名古屋から色とりどりの折り鶴がお見舞として病院に送られ、その美しさに、入院患者の多くが自分でも折り始めました。禎子もそれをきっかけにして、病気を治したいという願いを込めて折るようになった。

禎子は、自分が折った鶴に糸を通し、病室の天井からつるした。折り始めて一カ月足らずの8月末までに禎子の折り鶴づるは千羽に達した。それ以降も禎子は鶴を折り続けた。9月末、入院以降、三度目の白血球の増加が始まり、次第に自力では歩けないほどに、体調が悪化していった。10月25日の朝、家族が見守る中、永眠。

禎子の折り鶴の主な寄贈先

◆2007年 アメリカ NY 9.11同時多発テロ 追悼センター

◆2009年 オーストラリア ブルゲンラント州 ヨーロッパ平和博物館

◆2012年 アメリカ ハワイ パールハーバー アリゾナ記念館

◆2013年 沖縄市平和記念20周年式典

◆2013年 禎子の母校、広島市立幟町小学校

◆2014年 長野市長岡市(ホノルル姉妹都市)

◆2014年 郡山市 9.11同時多発テロの残骸鉄鋼で作られた折り鶴モニュメントのセレモニーに合わせて寄贈

◆2015年 ブラジル サンパウロ庁舎 日系被ばく者の会

◆2015年 アメリカ ロサンゼルス 日系博物館

◆2015年 アメリカ ロサンゼルス ジェイウィッシュ(ユダヤ教徒)会館 アンネの日記とともに展示。

◆2015年 アメリカ ミズーリ州 インディペンデント トルーマンライブラリー

◆2015年 平和宣言都市 我孫子市

◆2016年 チェルノブイリ 白血病に苦しむ子供たちのために寄贈